京都市上京区にある清明神社はご存知でしょうか?
今からもう40年以上昔の話になりますが、筆者が中学生の時は毎日自転車通学で、この神社の前を通っていました。筆者にとっては、大変馴染みのある神社です。
その当時から、陰陽師安倍晴明をお祀りしている大変由緒ある神社とは知っていましたが、ごくごく普通の小さな町の神社といった感でした。
それが、夢枕獏氏の小説と映画「陰陽師」で爆発的な人気となり、さらに、平昌五輪で金メダルを獲得したフィギュアスケートの羽生結弦選手が、フリープログラム使用曲で「SEIMEI」を使用するなど、安定した京都のパワースポットに成長してきました。
まさに、弘法大師空海と並び称される日本最強の超能力者「安倍晴明」のパワーが千年の時を超えても活きていると言えるのではないでしょうか?
安倍晴明とは?
安倍 晴明(あべ の せいめい)は、平安時代の陰陽師で、921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされています。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖です。つまり、清明が誕生してから千年以上も陰陽道の祖とされていたのです。
また、安倍晋三(現・内閣総理大臣)は、第23回参議院議員通常選挙のため岩手県入りして演説した際、自分は安倍晴明の子孫・安倍貞任の末裔であると話していたということです。
安倍晴明の逸話は、今昔物語などに多数出てきます。
多くの逸話は、映画「陰陽師」に代表されるように鬼との闘い(鬼滅の刃のようですね)などの恐ろしい話ですが、中には、竜宮城へ行って宴会をしてきたといった楽しい逸話もあります。
そんな逸話を読んでいると、若い頃から天才陰陽師としての名声を得ていたように思いますが、40歳でも天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)であったことから、実際の出世はかなり遅かったようです。その後、50歳頃になって、ようやく天文博士に任ぜられることとなります。
その後は、993年一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕して病状が回復。1004年には深刻な干魃が続いたため、一条天皇が晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降った、など、史実に残る活躍を遂げていきます。
しかし、1004年と言えば、既に、清明83歳。当時としては非常な高齢だったと思われます。
清明神社とは?
日本各地に安倍晴明由来の神社がありますが、京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)にある清明神社が本家本元です。
創建は、寛弘4(1007)年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
なお、清明神社がある一条通は、源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしになっているということです。
この一条通のあった戻り橋には安倍晴明が式神を飼っており、門の開閉まで式神にさせていたと言われています。
こちらは、門に掲げられている清明紋、五芒星とも呼ばれ、聖なる力を持っているとされています。
似たような紋章としては、ダビデの星と呼ばれる六芒星も有名です。やはり、こちらも「悪を退け、正義を貫き、幸運を呼ぶ」紋章とされています。
お守り
今回、筆者が買ったのは、コチラの勝守。
スポーツ、あらゆる競技会、資格試験、就職試験に、さまざまな競争相手、そして己に勝つために、ご利益があるとのことです。
筆者の場合は、トレードに勝つことを主目的として、お守りを購入してきました。
ぜひ、京都へお越しの際は、清明神社へお参りしてください。
アクセス
〒602-8222
京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)
JR 京都駅より
9番「一条戻橋・晴明神社前」下車 徒歩すぐ
バスで約20分~25分程度です。
最近、運気を向上させるというグッズを少しずつ購入していっていますが、そのご利益なのか、どんどんお金が貯まるようになってきています。